商品説明京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵自筆「源氏物語」の「玉鬘(たまかずら)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。「玉鬘の巻」は、源氏の君35歳の3月から12月までの恋物語。玉鬘は「竹取物語」の月の世界から来たかぐや姫になぞらえられることで知られる。月の都と筑紫の地上ほどに違うという意味で九州に下向した際にも光輝いていたという。自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。出品した「源氏物語」は玉鬘(たまかずら)の内容の要旨「玉鬘」(たまかずら)の巻は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。源氏の君35歳の3月から12月までの恋物語。夕顔の娘・玉鬘の半生を中心に描かれた巻。玉鬘は頭中将と夕顔の間に生まれた娘で、幼名は瑠璃君といった。母夕顔は頭中将の正妻に脅され姿を隠していた時に源氏と出逢う。その後、夕顔は急逝する。玉鬘は乳母に連れられて九州へ流れる。そこで美しく成長し、土着の豪族大夫監の熱心な求愛を受けるが、これを拒んで都へ上京。長谷寺参詣の途上で偶然にも夕顔の侍女だった右近に再会、その紹介で源氏の邸宅・六条院に養女として引き取られる事となった。源氏の弟宮である蛍兵部卿宮をはじめ、髭黒、柏木(実は異母兄弟)など多くの公達から懸想文を贈られる。源氏の放った蛍の光によって蛍宮に姿を見られる場面は有名。玉鬘」(たまかずら)の姫君のきらびやかな恋物語が描かれている自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)原本自筆上部に「玉鬘(たまかずら)」には、「将軍遂縛作蕃生(将軍ついに縛【ばく】して蕃生【ばんせい】となす」という篆書印が押捺されている。玉鬘は「竹取物語」の月の世界から来たかぐや姫になぞらえられることで知られる。月の都と筑紫の地上ほどに違うという意味で九州に下向した際にも光輝いていたという。蕃はチベットをさす。将軍がひそかに脱出しところが捕虜となり江南に送られる境遇を嘆いたもので、筑紫を蕃になぞらえたもので、玉鬘の中の「四月二十日ほどに日取りて来むとするほどに逃ぐるなりけり」を「将軍遂縛作蕃生」なぞらえたものである。白楽天の白氏文集(巻三)の中の有名一節です。紫式部が「玉鬘」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。「たまかつら」とも書く。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載《「源氏物語」玉鬘(たまかずら)の巻》「玉鬘」の巻は英文で「The Jeweled Chaplet」と表記されます。《自筆上部の原本自筆上部に「将軍遂縛作蕃生(将軍ついに縛【ばく】して蕃生【ばんせい】となす」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。》「額縁入自筆原本」(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)「自筆原本」自筆右下の上の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。自筆右下の下の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印《自筆上部の原本自筆上部に「将軍遂縛作蕃生(将軍ついに縛【ばく】して蕃生【ばんせい】となす」の漢詩文の落款が押捺されている。漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。》《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。《「源氏物語」玉鬘(たまかずら)の巻》《思ひきこ(聞)ゆる人に、》・・・・たいめん(対面)しぬへきことよ」とて、此へた(隔)てによ(寄)りき(来)たり。け(気)とを(遠)くへた(隔)てつるひやうふ(風)たつ物、なこり(名残)なくをしあけて、ま(先)つ、い(言)ひやるへきかた(方)なくな(泣)きかはす。おい(老)人は、たゝ、「わかきみ(若君)はいかゝなり給にし。こゝらのとしころ(年頃)、夢にてもおはしまさむ所をみ(見)んと、大くはん(願)をた(立)つれと、はる(遙)かなるせかい(世界)にて、風のをと(音)にても、えき(聞)ゝつた(伝)へたてまつ(奉)らぬを、いみしくかな(悲)しと思ふに、おい(老)の身ののこ(残)りとゝまりたるもいと心うけれと、うちすてたてまつ(奉)り給へるわかきみ(若君)の、らうたくあはれにて・・・・《おはしますを》(文責・出品者)「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。《「源氏物語」玉鬘(たまかずら)の巻》《「玉鬘(たまかずら)の姫君」は月の世界から来た美しいかぐや姫とされる》《源氏の君、右近と夕顔の君を思い出す》《玉鬘の一行、筑紫を脱出して京の都に戻る》《玉鬘の姫君、石清水八幡宮に参詣》《玉鬘の姫君、長谷寺に参詣し右近の君に再会する》《(三条・玉鬘の姫君付下女)「みな様無事でいらっしゃいます。姫君(玉鬘の姫君)も大人におなりでいらっしゃいます。何はさておき乳母殿にこのことを申しあげましょう」と言って、奥に入っていった。 みなびっくりして、(兵部の君)「夢の心地ではありませんか。ほんとにうらめしい、なんというひどいお方かとお思い申している人に、まさかここで》・・・・出会うことになろうとは」と言って、この隔てのところに寄ってきた。お互いに分らぬよう仕切ってあった屏風(びようぶ)のようなものもすべて押し開けて、なんときり出してよいのか言葉もなく、いっしょに泣き交している。老いた乳母(玉鬘の姫君の乳母)はただ、(玉鬘の姫君の乳母)「わが君(夕顔の君)はどうおなりあそばしたのですか。この長い年月のあいだ、夢にでもよいからどこにいらっしゃるか知りたいと大願を立てておりましたが、遠い田舎(いなか)では風の便りにもお噂(うわさ)を耳にすることができませぬのを、なんとも悲しく思っておりました。それにつけても、年寄の身で生き残っておりますのもほんとに情けのうございますけれど、母君(夕顔の君)がお残し申された若君(玉鬘の姫君)が、いとおしくもいじらしくて・・・・《いらっしゃいますので、往生の際の障(さわ)りにもなろうかとお扱い申しあぐねたままに、どうやらまだ目をつぶらずに長らえております」》備考・右近の君は、現在紫の上付の女房であるが、元は姫君(玉鬘の姫君)母君(夕顔)の侍女。備考・玉鬘(たまかずら)の美しさは、この世の者とは思えないくらい美しさがきわだち「竹取物語」の月の世界から来たかぐや姫になぞらえられることで知られる。現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。《The Jeweled Chaplet(玉鬘)》She was at first too moved to speak. "And what has happened to my lady?" she asked finally. "I have prayed and prayed for so many years that I might be taken wherever she is. I have wanted to go to her, even if it be in a dream. And then I had to suffer in a place so far away that not even the winds brought word of her. I have lived too long. But thoughts of the little girl have kept me tied to this world and made it difficult for me to go on to the next one. 英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。《玉鬘》当年把夫人走,我恨了,不料今天在里和面。”便走向隔壁房去。把隔房的屏全部取去,以便叙。人一,一句也不,首先相向而哭。后来老太太好容易了:“夫人怎了?多年以来,我常想知道的下落,即使在梦中得知也好。因此神明下宏誓大愿。然而我居他,一点声也不来,在悲之!我老而不死,自无聊。只因夫人所舍弃的小女公子,已得非常可可怜。我舍弃了而死,到冥司也得受罪,因此在里生。”中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。「玉鬘の巻」原本の末尾(原本番号45-B)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印左の写真が「源氏物語」玉鬘の巻の末尾(原本番号45-B)の押印。写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「玉鬘の巻」末尾の拡大写真。上の篆書体は、「将軍遂縛作蕃生(将軍ついに縛【ばく】して蕃生【ばんせい】となす」の押印。篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款写真右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)自筆の疎明資料等は、下記の通りです。(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。筆者は近衛関白政家公。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。上下2段の花押のうち、上の印は。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)「自筆の画像断層(MRI)写真」(出品した自筆の「断層画像写真」(玉鬘の巻)MRI 22―19B自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。自筆右下の下の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印「源氏物語・国宝」「玉鬘の巻」主人公の資料下記写真は、「源氏物語絵巻」の中に描かれる玉鬘の姫君「源氏物語絵巻 」玉鬘の姫君と侍女、左側は源氏の君右上は、玉鬘の姫君と侍女、左下は生垣の外からかいま見る源氏の君と従者。「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定