バルセロナオットマンは、バルセロナチェアと共に1929年のバルセロナ万博に際しデザインされたオットマンです。スペイン国王夫妻を迎えるため、ドイツパビリオンの設計を依頼され建物・インテリア家具ともにデザインされたのです。その後1990年代から、様々な国で売れ続けておりミースの建築の功績よりも有名になってしまったのではと思えるほどです。_______________________________________________ミース・ファン・デル・ローエ Mies van der Rohe (1886-1969) ドイツ石工の息子として生まれたミース・ファン・デル・ローエは、学校での建築教育を受けることなくベルリンで家具デザイナーBruno Paulの元で見習いとなる。建築家ペーター・ベーレンスの事務所を経て、26歳でベルリンに建築事務所を開く。1927年ドイツ工作連盟主催のシュトゥットガルト住宅展に参加し、ペーター・ベーレンス、ヴァルターグロピウス、ル・コルビュジエ、ブルーノ・タウトらとともに、実験的な集合住宅を建設した。その後、ヴァルター・グロピウスの推薦により、バウハウスの3代目校長を1930年から閉校となった1933年まで務める。1937年、アメリカに亡命し、アーマー工科大学(現・イリノイ工科大学)の建築学部長に就任。その後、シカゴのファンズワース邸などの名建築を残し、近代建築の巨匠といわれている。Less is more「無駄な部分を削ぎ落としたデザインが、より豊かなデザインである」 というミース・ファン・デル・ローエの名言。ファンズワース邸に代表される必要最低限の鉄とガラスで作られた建築は斬新なものだった。神はディテール(細部)に宿る「作り手の思いはディテール(細部)に表れる」というミース・ファン・デル・ローエの名言。ディテールのほんの少しの違いが、全体としての違いへとつながる。ディテールにこそ、こだわって作り上げるのがミース流。ミース・ファン・デル・ローエの家具を見ると、脚の曲線などのディテールを意識せざるを得ない。バルセロナチェアの脚が直線だったら、ミース・ファン・デル・ローエの存在は忘れ去られていたかもしれない。_______________________________________________こちらの商品は「ハイクラスのリプロダクト(ジェネリック)」製品です。中国製ではございますが、他店で流通している程価格帯のものと比べ素材や仕様に拘り丁寧に製造しております。※商品の写真は現品を再現するよう心掛けておりますが、ご利用のPCモニター環境により色合いが異なって見える場合があります。予めご了承くださいませ。※この商品は自然素材のため製造工程上に発生する細かな傷や色ムラ、成型の跡などがある場合がございます。商品の特性としてご理解いただきますよう、あらかじめご了承ください。バルセロナ・チェアはこちら